転職成功者インタビュー | リージョナルHERO
CASE276山口→徳島で転職
CASE275東京→ 香川で転職
CASE267神奈川→ 愛媛で転職
神奈川県の電子部品メーカーで働いていた田中雄太さん(仮名)。外資系企業だったため、出退勤の時間に融通が利くフレックス勤務制度を採用しており、当初は魅力的に感じたものの、結果的に長時間労働を続けてしまい生活も不規則になってしまった。自由がゆえに個人に課せられる責任も重く、プレッシャーも大きかったという。勤続10年を機に、その先の人生を見つめ直した田中さんは、かねてから頭の片隅にあった地元・愛媛へのUターンを決断した。「自由な働き方と、規則正しい働き方。都会と田舎。それぞれによいところがあり、どちらも体験できたことがよかった」と話す田中さんに、初めての転職を振り返ってもらった。
CASE259茨城→愛媛で転職
愛媛県西条市の工場で、生産技術職としてマスクの材料となる「不織布」の生産に奮闘している高橋学さん(仮名)が今回のリージョナルヒーローだ。高橋さんは岡山県の大学院を卒業後、大手化学メーカーに就職。茨城の工場に配属されて29歳まで働いていたが、30歳を目前に愛媛へのUターンを決意した。大きなきっかけとなったのは、地元で暮らす親、そして当時遠距離恋愛をしていた現在の奥様の存在だった。大手企業を辞めるのには勇気が必要だったが、転職活動を通じて愛媛に生産拠点を置く化学メーカー、クラレと出会えた。「やりがいのある仕事ですし、自分の時間も増えました。帰宅するたびに、今日は何をしようか、ワクワクしています(笑)」と、自らのUターン転職ストーリーを振り返ってくれた。
CASE250岐阜→徳島で転職
電気設計エンジニアの大川祥吾さん(仮名)は、徳島の高校を卒業後は関西の大学を経て、東海地方のメーカーに就職。20代のほとんどを岐阜で過ごしてきた。長男だったこともあり、「いつかは地元に帰ろう」と考えていたものの、なかなか行動に移せないでいたという。それでも、自分のスキルに自信がついてくるにつれ、仕事環境などで疑問を感じるようになった大川さんは、30歳を目前に転職エージェントに登録。すると予想を超える数の企業を紹介され、そこには関西の有名企業も含まれていたという。その中から大川さんが選択したのは、徳島に本社を置く個性派メーカーだった。現在は社長直属の開発プロジェクトのメンバーとして働き、「徳島で暮らす喜びと、どこにもない製品を作るやりがいを感じている」という大川さんに転職体験談をうかがった。
CASE234兵庫→香川で転職
CASE230神奈川→愛媛で転職
加藤祐輔さん(仮名)は大学院で機械工学を学んだ後、自動車メーカーで生産技術のスペシャリストとして活躍していた。最先端のものづくりは学生時代からの夢で、「転職なんて考えたこともなかった」という加藤さんに転機が訪れたのは、31歳のとき。双子を授かり生活は激変。地方出身の加藤夫妻には関東にたよれる人がおらず、自身は毎晩残業続き。妻は香川県に里帰り出産し、その後も子供たちと実家にとどまることになった。首都圏と香川県を行き来する単身生活で加藤さんは人生を見つめ直し、出した答えは「自分にとって、より大事なのは、仕事よりも家族」。この答えを胸に、四国への転職に挑んだ加藤さんの体験談を紹介する。
CASE227東京→香川で転職
学生時代から未知なるものへの興味が強かった山川さん(仮名)。その興味はやがて海外に向けられ、留学や海外旅行など、積極的に海外へ足を運んでいた。大学卒業後に就職したのは旅行会社。以来、世界のあらゆる観光地に足を運び、観光産業一筋に突き進んできた。仕事はどれも充実していたが、発地型旅行企画の限界と、インバウンド需要の高まりから着地型旅行企画の可能性を感じるようになり、前職を退職。今後の自分のキャリアを根付かせる土地はいったいどこなのか・・・自身を振り返り、見つめ直すために行ったこと。それは、とにかく行動してみることだった。全国の地方を訪れては模索する日々。そんな中で確信したのは、地元である香川および四国の無限の可能性だった。観光のプロとして香川にUターンを決意した山川さんの、転職ストーリーを追った。
CASE207愛知→香川で転職
CASE203新潟→香川で転職