転職成功者インタビュー | リージョナルHERO
大手コンサルティングファームのシニアアソシエイトとして第一線で活躍していた柳川さん(仮名)。コンサルタントとしての転換期を迎え、将来のキャリアを考える中で、いつも心にあったのは故郷・福岡で病床に伏す父のこと。父のそばに帰りたいけれど、これまでのキャリアをリセットしたくない。そんな思いを持ちながら、「まずは相談を」と参加したキャリア相談会をきっかけに、柳川さんのUターンは現実味を増すことになった。現在は福岡銀行に転職し、同社が推進する「デジタル戦略」の一翼を担う柳川さんに、転職活動の経緯やUターン後の変化を伺った。
- プロフィール株式会社福岡銀行 柳川晃さん(仮名) 33歳/東京大学大学院卒
- 転職活動【転職回数】1回【転職期間】エントリーから内定まで85日間
職業 | コンサルタント | 職業 | 企画職 |
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業界 | コンサルティングファーム | 業界 | 銀行 |
仕事内容 | 事務オペレーション改革やチャネル戦略策定、コミュニケーションツールの導入など | 仕事内容 | デジタル領域における各種サービス/商品の企画、イノベーション推進など |
福岡銀行のデジタル戦略を推進する事業戦略部でオープンイノベーション推進グループに所属しています。その名の通り、当行ではオープンイノベーションへの取り組みを活発化させていて、アジャイル開発やビッグデータの利活用などの体制構築を積極的に進めています。従来からの銀行ビジネスそのものをテクノロジーによって根本的に変革することを目指して、私もその一員として新たなサービスや商品の企画に携わっています。
新卒で生命保険会社に入社し、5年弱、営業支援や海外の事業調査などに携わりました。その後大手コンサルティングファームに転職し、保険会社に対する事務オペレーション改革やチャネル戦略策定、コミュニケーションツールの導入などの支援を経験しました。保険業界の知見が活かせたので早い段階から勘所を掴むことができましたし、シニアアソシエイトに昇進してからは高次元なUX/CXの実現やBPOといったプロジェクトも経験し、知識やスキルを確実に昇華させることができたと感じています。
大きく2つあります。まず1つは、コンサルタントとして戦略策定から実行フェーズまで経験する中で、「支援する立場」としてではなく、主体となる事業会社で「当事者」としてプロジェクトを推進したいという思いが強くなっていたことです。特に、デジタル化を推進するクライアントが多かったので、私自身もデジタライゼーションに対する志向が強くなっていました。事業会社でそうしたプロジェクトに携わることができれば、さらに自身の能力を伸ばせるのではと考えました。もう1つは、福岡で暮らす父が病を抱えていたことです。あまり状態がよくないことは聞いていて、私は一人っ子なので、サポートも含めて近くにいたいという思いが強くなっていました。私は東京で家庭を持ち、妻は東京出身ですが、結婚当初から「いつかは福岡に帰りたい」と話していたので、妻も背中を押してくれて、Uターンを決意するに至りました。
大手を中心に紹介会社にいくつか登録しました。ありがたいことに様々な案件を紹介してもらいましたが、肝心の福岡の案件は少なく、ほとんどが東京勤務の案件でした。少し行き詰まりを感じていたときに、福岡地場の紹介会社を集中的に探し、リージョナルキャリア福岡を見つけました。ちょうど近いタイミングで東京相談会を開催するとあったので、参加を申し込み、コンサルタントの原田さんとお会いしました。私の経験やキャリア観をお話しし、それに即した地場企業とのマッチングを進めてもらう中で、かねてから興味を持っていた福岡銀行について尋ねると、私に適したポジションがあるかサーチが可能とのことでしたので、「ぜひ!」とお願いしました。福岡の情報を得ることに苦戦していたので、“紹介会社によってここまで情報格差があるのか”と驚いたのをよく覚えています。はじめは「まずは相談してみよう」ぐらいの気持ちでしたが、結果的に福岡銀行で私にマッチするポジションが見つかり、転職活動が一気に加速することになりました。
「金融イノベーション」と言われるデジタライゼーションが進んでいたことは少なからず知っていましたし、福岡銀行が先進的な取り組みを行っていたことも知っていたので、シンプルに「おもしろそう!」と感じました。リージョナルキャリア福岡の企業インタビューで弊社の事業戦略部部長が紹介されていて、そこで『「ふくぎん、おもしろいやん」と感じてもらいたい』というフレーズがあるのですが、まさにそれにハマったと言えるかもしれません(笑) 同部長や役員との面接では、福岡をはじめ九州の多くの企業や人を顧客に持っていることと、銀行の垣根を超えてサービスを提供しようとしていることを肌で感じ、多くの人の役に立てそうだと感じたことも決め手になりました。もともと学生の頃は農学を学び、研究者の道を目指したこともあったのですが、これも「人の役に立ちたい」という思いからでした。道は違いますが、経験してきたことを活かして、故郷に貢献できるのであれば、チャレンジする価値があると考え、入社を決めました。
入社から1ヶ月が経ちましたが、あっという間でしたね。これまでの経験が活かせると考えてはいましたが、銀行業は初めてなので、聞き慣れない金融用語を理解するのに苦労しました(笑) ただ、周囲はとても手厚くサポートしてくれているので、“置いてけぼり”という感じはまったくないですね。私と同じように銀行以外からの中途入社メンバーも多く、一体感を大切にしながら、互いにうまくカバーし合っている風土を感じます。早くから様々な仕事を任せてもらっていますし、それこそ異業界のスペシャリストたちと席を並べて仕事ができるので、とても刺激的な環境です。さらにスピードを上げて、早く自分の仕事をカタチにしていけるよう頑張っていきたいですね。
東京を離れた人はよく言いますが、満員電車に揺られることがなくなったので、やはり通勤は圧倒的に楽になりました。また現在は社宅に住んでいて、妻も含めて良い関係を築かせてもらっています。地元だということもありますが、“日本一のコンパクトシティ”とも言われる福岡での暮らしにおいて不自由はないですね。15年近く福岡を離れていましたが、今ではすっかり博多弁に戻りましたし、やはり自分は福岡の人間なんだなと実感しています(笑) あと、もう一つ大きな出来事としては、Uターンしてから数週間後に父が他界しました。もともと余命宣告は受けていましたが、「思っていたよりも早かった」というのが正直なところです。ただ、もうすぐ2歳になる私の娘と、近くで同じ時を過ごせたのは父にとっても私にとってもかけがえのない時間でした。あのときUターンを決意して本当に良かったと思っています。
私は東京からのUターンですが、やはり産業や大手企業は東京に集中していますし、個人のキャリアを考えても東京で暮らすことのメリットは大きいと思います。ただ、「本当に東京にいる意味はあるのか」と自問したときに、私は明確な答えを出せませんでした。「地元に帰りたい」とか「○○で暮らしたい」という思いがあるのなら、その実現に向けて行動する方が「東京にいる意味」を考えるよりも将来をイメージしやすいのではと思います。また私の場合は「キャリアを活かしたい」という思いも強かったので、それが叶えられそうだという情報を得られたことで、一層Uターンする決意が固くなったように思います。先ほど「紹介会社における情報格差」についてお話しましたが、やはり、その地域についての情報をしっかり持っている紹介会社を選ぶということが大切な第一歩だと感じました。
株式会社ライフサイズ 原田 昌和
福岡で久しぶりにお会いした柳川さんは、Uターン前に東京でお会いしていた頃と比べ、“角が取れた”ような柔らかい雰囲気をまとっていらっしゃいました。それでいて「もっとスピードを上げて自分の仕事をカタチにしていきたい」とエネルギッシュさは失われておらず、真正面から仕事に向き合っていらっしゃる様子がうかがえ、とても安心しました。デジタル戦略を大きく推進する福岡銀行において、異業界からのチャレンジとなった柳川さんが今後どのようにコミットしていかれるのか、またどんなキャリアを築いていかれるのか、今からとても楽しみです。