転職成功者インタビュー

潮冷熱株式会社
田中雄太さん(仮名・機械設計) 36歳

自ら「変化」を起こし、「違い」を楽しむ。転職で芽生えた、新しい生きがい。

神奈川県の外資系電子部品メーカーで働いていた田中さん。勤務はフレックスタイム制度で、当初はそれを魅力的に感じたものの、結果的に長時間労働を続け、生活も不規則になってしまった。自由がゆえに個人に課せられる責任も重く、プレッシャーも大きかったという。

勤続10年を機に、その先の人生を見つめ直した田中さんは、かねてから頭の片隅にあった地元・愛媛へのUターンを決断。「自由な働き方と、規則正しい働き方。都会と田舎。それぞれによいところがあり、どちらも体験できたことがよかった」と話す田中さんに、初めての転職を振り返ってもらった。

※本記事の内容は、2020年10月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで30日間

転職前

業種
外資系電子部品メーカー
職種
機械設計
業務内容
自社製品の機械設計業務

転職後

業種
船舶設備メーカー
職種
機械設計
業務内容
自社製品の機械設計業務

この会社なら、これまでのキャリアを活かして、もっといい会社にできそうだと思った。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

船舶の空調設備や冷凍冷蔵設備などを専門に作っているメーカーで、空調設備の中にある機械部品の設計を担当しています。

製品の形はある程度決まっているのですが、お客さまの要望やニーズに合わせて、カスタマイズしていく必要があります。ですから、CADを使って図面を書くだけでなく、お客さまとの打ち合わせや、製造部門とのすりあわせも大事な仕事です。

入社前のご経歴を教えてください。

高校まで愛媛県の今治で過ごし、卒業後は広島県の大学と大学院へ。機械システム工学を専攻しました。

卒業後は神奈川にある外資系電子部品メーカーに就職。今と同じ機械設計職として、スマートフォンや家電に搭載される部品の開発・設計を担当し、顧客との製品仕様の交渉や、試作、性能評価、製品リリース、クレーム対応など、幅広い業務に携わっていました。

転職のきっかけは?

もともと「いつかは今治に戻りたい」という気持ちがあったんです。なかなか行動には移せませんでしたが、親も定年を迎えだいぶ年をとってきたので、真剣にUターンを考えるようになりました。

また以前から、入社10年をめどに次の身の振り方を考えようと思っていたのですが、当時取り組んでいたプロジェクトがちょうどひと区切りついたことも大きかったです。

年を重ねてくると、若い時のように都会で暮らすメリットをあまり感じなくなっていました。買い物はネットで済む、人混みもあまり好きではない、また神奈川のように電車を利用するばかりではなく、車生活もしてみたい・・・。

「今治に住んだらどんな感じなんだろう」という興味もあり、環境をがらりと変えてみようと思いました。

転職活動はどのように進めましたか?

ネットで「Uターン 愛媛」で調べて、いくつかの転職支援会社に電話をしてみたのですが、いちばん印象が良かったのがリージョナルキャリア愛媛でした。

コンサルタントの方がとても気さくで、気持ちの良い対応をしてくれたんです。ざっくりと、こちらの状況と希望を伝えて、「こんな希望で仕事を探しているんですが」とお願いすると、すぐに対応してもらえたので、とてもスムーズでした。

希望条件については、そんなに高望みをしていませんでした。年収が減るのは覚悟していましたし、職種や業種も特に希望はなくて、前の仕事に少しでも関係があれば、というイメージでした。

エリアも、今治・西条エリアが第一希望でしたが、なければ、愛媛県内一円まで検討すると伝えたところ、すぐに5社ほど紹介してもらい、2社の面接を受けました。

今の会社に決めたポイントは?

まずは今治の会社だったことです。また、明確な課題意識を持っていて、ハイテク化で改善していこうという意思が感じられた点も好印象でした。

CADをうまく活用しきれていないのが課題で「3D-CADを活用したいが、使える人材が少ない」という状況だったので、ここだったら自分の経験を生かして、会社の発展に貢献できそうだと思ったんです。

また、設計の仕事ができるのであれば、作る「もの」の違いは気になりませんでした。売れるもの、つまり、世の中やその業界で何かしらの強みを持った製品であればいいと思っていましたね。

その点、潮冷熱は、ニッチな領域ではありますが、大型船舶の空調設備や冷凍・冷蔵設備ではかなりのシェアを持っているので、それも決め手になりました。

前のやり方にこだわらず、まずは今の環境に合わせる。それが転職成功のポイント。

転職していかがですか?

楽しいですよ。前の会社とのいろいろな「違い」を楽しんでいます(笑)。

まずは製品のサイズ。前はスマートフォンに搭載される、指先に乗るほどの小さな電子部品だったので、仕上がりも顕微鏡で見て確認していました。ところが今は、自分の体と同じくらいの部品もあります。社会人になってからものづくりの楽しさを知り、もっと大きなものを作ってみたいと思っていたので、念願がかないました。

また、働き方も180度変わりました。前の会社は外資系で、出社時間も退社時間も自由なフレックスタイム制度でしたが、今は出社時間も8時と決まっています。そういう働き方をしてみたいと思っていたので、満足しています。

転職して良かったと思うことは?

以前からやってみたかった、大きなものを作る仕事に携わることや、車で移動する生活を実現することができ、満足しています。

また、規則正しい生活になったことで体調も良くなりました。以前の外資流の自由な働き方は、良さもありますがつい長時間労働になってしまう。はじめは「いいな」と思っていましたが、途中から「あれ?体がだるいぞ」と感じるようになっていました。今は自分の時間も増え、気分良く毎日を過ごせています。

また、久しぶりに地元で暮らしてみて、「緑っていいなぁ」と実感しました。神奈川では駅の近くに住んでいて、まわりは家と人と車であふれていましたが、今は身近ないたるところに青々とした木が生えています。きれいな緑を見るだけで癒されますね。

困っていることや課題はありますか?

仕事はわからないことばかりのスタートでした。同じ「設計」でも、使うCADも違いますし、前の仕事と共通していることは多くないんです。また、大量生産だった前職と違って、今は1つ1つ特注品のようなイメージです。

でも「違う」ということは覚悟したうえで入社しているので、そんなに苦ではありませんでした。まわりの人に教えてもらいながら、少しずつ仕事を覚えてきました。

また、前の会社でのやり方にこだわってしまうと失敗する、という話も聞いたので、まずは今の会社のやり方に合わせてやっていくことも心掛けています。

意外と困ったのは、方言です。今治で暮らすのは高校生のとき以来ですから、しゃべってみてもぎこちなく、年配の人の話は最初、聞き取れませんでした(笑)。

でも、早く周囲に馴染めるように、なるべくこちらから話しかけるよう心がけてきました。最近は「もう大丈夫。ちゃんと馴染んでいるよ」と言われ安心しています。

生活面の変化はありましたか?

生活のリズムは大きく変わりました。以前はフレックスとはいっても、9時に起きて10時に出社。23時に帰宅して夜中の3時に寝る、という生活でした。

でも今は7時前に起きて8時に出社。18時から19時の間には帰宅できるようになりました。明るいうちに帰れるのはやっぱりいいですね。

休日の過ごし方も変わりました。車を買ったので行動範囲が広がりましたね。

神奈川時代、休日はほとんど家から出なかったんですが、今はなるべく出かけるようにしています。地元の街並みも変わっていますし、子どもの頃とは違う景色を探して、片道1時間のドライブを楽しんでいます。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

都会と地方、自由な働き方と規則的な働き方、私はどちらにも良さがあると思っています。その両方を経験できたことで、転職によって新たな気持ちで働けるようになりましたし、変化を楽しめています。一度きりの人生ですから、変化を起こして良かったと感じています。

一方で、仕事を1から変えるのは、確かにしんどい部分もあります。でも、ある程度慣れてきたら、仕事の進め方は同じ。もちろんギャップもありますが、その「違い」に対して、前のやり方にこだわらないことが肝心です。

まずは今の職場のやり方に合わせていき、慣れてきたら、前と今のやり方を融合させた「いいとこどり」をしていけばいい。私も今、そういうスタンスで働いていますし、それを実現することが仕事のやりがいにもなっています。

担当コンサルタントから

チーフコンサルタント 
松本 俊介

就職してからは外資系メーカーの設計者として関東で経験を積まれてきた田中さん。若い頃は魅力に感じていた関東での生活から10年を節目に価値観が変わり、漠然と考えていた「いつかは愛媛に戻りたい」という思いを叶えるため、ご相談くださいました。

これまでの経験を活かせる環境で、今治に戻ってからは念願だった車を持ち、ドライブを楽しんでいるという田中さんの話を聞いていると、私まで嬉しくなります。ますますのご活躍を願っています!

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