転職成功者インタビュー | リージョナルHERO
藤野瑛太さん(仮名)は長野県出身のエンジニア。新卒で化学メーカーに就職し、38歳まで配属先の福島で生産技術の研究開発に従事していた。仕事にも不満はなく、「定年したら長野に帰ろう」と考えていたという。そんな藤野さんのプランが早まったきっかけは、両親の体調悪化だった。もともと病気がちだった母親に加え、元気だと思っていた父親、さらに妻の両親まで体調を崩してしまう。お互いの両親を見舞うために、頻繁に福島から長野へ通う日々を半年間続けたのちに、Uターンを決断。長野で全く違う仕事に就くことも覚悟していたが、自動車業界の最前線に携わる開発職と出会うことができた。「予想外に大きな会社と出会え、驚きました。私自身も今回の転職で成長できたと思います。両親も一緒に暮らせるようになったことで以前よりも元気になっています」と話す藤野さんにUターンの体験談を伺った。
- プロフィール富士電機株式会社 藤野瑛太さん(仮名) 40歳/大学院博士前期課程修了
- 転職活動【転職回数】1回【転職期間】エントリーから内定まで97日間
職業 | 研究開発 | 職業 | 設計開発 |
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業界 | 半導体 | 業界 | 電気機器メーカー |
仕事内容 | 製造装置設計開発、品質および製造プロセスの研究開発 | 仕事内容 | 車載用パワーモジュールの設計開発 |
富士電機株式会社の松本工場で設計開発の仕事をしています。私が担当しているのは、EV(電気自動車)やHV(ハイブリッドカー)に不可欠な車載用パワーモジュールの設計開発です。より小型で、大電力を扱えるEVのパワーモジュール開発に取り組んでいるところです。自動車メーカーからオーダーを受け、設計、試作、テスト、改良を繰り返して、量産を担当する製造部門に手渡すまでが、私の仕事。現在は20人ほどの開発チームのリーダーを任されています。
出身は長野県の岡谷市です。名古屋にある大学・大学院に進学し、エンジン燃焼の化学反応を研究していました。その後、新卒で化学メーカーに就職し、福島にある研究所に配属。そこでシリコン製品の生産設備の設計を5年経験した後、生産プロセスの研究開発に7年間従事しました。
32歳のときに結婚したのですが、妻も私と同じ岡谷の出身なんです。ですから、いつか岡谷に帰ることも考えていましたが、先のことだと思っていました。仕事に不満はなかったし、いい会社でしたので。「定年退職したら岡谷でのんびり暮らそうか」なんて二人で話していたんですが、お互いの両親の体調が急に悪くなってしまったんです。私の母はもともと目が悪かったんですが、父が元気だったので頼りにしていたんです。ところがその父も病気になり、重ねて妻の両親の体調も悪くなりました。そのため、転職する前の半年間は毎週のように岡谷に帰っていたんです。福島から岡谷までは車で片道4時間半かかります。金曜日に私の仕事が終わった後、2歳の子どもを連れて出発し、日曜日の夜に帰ってくる―そんな生活を半年間続けていました。その頃に会社から管理職を打診されたんです。管理職になったら、土日も地元に帰れるかどうかわかりません。なにより度重なる帰省を伴なう生活にも限界を感じていました。両親はこれからさらに年を重ねていきますし、体調ももっと悪くなるかもしれない。ならば私たちがいまUターンして、将来に備えたほうがいいと判断したんです。
まず、ネットでエージェントを探しました。大手のサイトにも登録してみましたが、前職と同じような業界の求人はほとんどありませんでした。そこで、「長野県で転職するなら長野県に特化したエージェントがいいのでは」と考え、見つけたのがエンリージョンのリージョナルキャリア長野でした。ちょうど新宿で相談会があるということだったので、「話を聞いてみようか」と気軽な気持ちで参加してみました。でも、エージェントには、「転職市場の厳しい現実を突きつけられるのでは?」と覚悟していたんです。
給料の水準は下げたくなかったからです。また、前と同じような業種は難しそうだったので、異分野での転職しかないとも思っていました。この歳で未経験の業界に一から入って、それで給料は下げたくないなんて、わがままといわれても仕方ないですからね(笑)。ところが実際はそんなこと全然なく、魅力的な会社を紹介されて驚きました。富士電機も大きな会社ですが、紹介されたもう一社も有名な大手企業だったんです。本当に予想外でしたね。
まずは幹部社員として評価してくれたことですね。また実は、富士電機は前に勤めていた会社とも取引があって、いい雰囲気の会社だと同僚から聞いていたんです。年収も維持どころか、少し上がりました。勤務地が松本に決まっていたのもポイントでした。将来的には転勤の可能性もゼロではないようですが、開発部隊は松本にあるので、基本的には松本で働き続けることができそうです。
入社して最初に任されたのは、仕様や価格などについてサプライヤーと交渉する仕事でした。前の会社とは全く別の分野だったので、慣れるまでは大変でしたね。社内の資料や専門書でかなり勉強しましたし、若い社員にもこちらからどんどん質問して、教えてもらいました。とはいえ、仕事の進め方には前職と共通する部分も多かったです。またEV用のパワーモジュールといっても、専門外の電気系ではなく、今までやってきた機械系の要素が強い仕事でしたので、なんとかやってこられました。最初はスタッフとして従事しましたが、3ヶ月後にチームリーダーとなりました。入社前に心配した人間関係には苦労することはなく、すぐに受け入れてもらえました。
今は松本に両親を呼んで、一緒に暮らしています。福島にいたときも両親を誘ったことがあったのですが、「福島は遠すぎる」断られました。でも松本なら、転居を受け入れてくれたんです。最初はマンション住まいでしたが、こちらに来て1年ほどで家を建てました。親の様子がわかるようになったので、安心しましたね。土日も実家に帰る必要がなくなったので、そのぶん今は家でのんびりしたり、家族で買い物にいったり、当たり前の休日を過ごせるようになりました。
仕事ではまだ慣れていない部分もあります。会社ごとに「文化の違い」というのがありますよね。まだときどき、「自分はズレてるなぁ」と感じることがあるんです。例えば、上長への意見の通し方とか、会社によって異なると思うので、こうした部分に慣れることが、いちばん時間がかかるんじゃないかと感じています。
いちばんは両親が元気になったことです。一緒に暮らし始めたことで、両親の体調も落ち着き、精神的にも元気になったんですよ。妻の実家にも、何かあればすぐにかけつけられるので、気持ちの余裕が全然違います。義父も安心したみたいで、福島にいた頃は毎日のように電話があって、妻も少し大変そうでした。また今は地元の友達と会うことが、妻のいいストレス解消になっていると思います。私も今はかなりゆとりを感じています。週末に実家に帰る必要がなくなったのはすごく大きいですね。毎回かなりの時間とコストとエネルギーを使っていましたから。仕事面でも、この転職は自分の成長につながったと思います。働く場所が変わると、前の会社や自分自身のいいところ、悪いところが客観的に見えてきます。悪いところや弱いところが見えると、自分で改善していけるので、そこは本当によかったです。
私はいまの会社の面接を受けることが決まったとき、HPで製品を調べて、自分が持っている技術や経験を、どの製品に、どう活かせるかを整理したうえで、面接に臨みました。プレゼンテーション用の資料を作り、事前に配ったんです。それを読んでもらったうえでの面接だったので、スムーズに話が進んだのだと思います。技術系の仕事をしている人なら、いつもプレゼン資料を作っているはず。転職活動時は、自分をプレゼンするつもりで資料を作ってみてはいかがでしょうか。またエージェントを利用するメリットも実感しました。資料作りもエージェントが提案してくれましたし、エージェントが先に先方の人事に話をしてくれているので、その後の展開もスムーズでした。自分で応募するのとは、相手の印象や評価も違うのではないでしょうか。自分で自分のことを推すよりも、エージェントに推してもらうほうが、効果的かと思います。
株式会社エンリージョン 渡邉 美和
藤野さん(仮名)との出会いは、東京で開催した長野県へのUIターン相談会でした。そこで初めて藤野さんとお話しをし、長野へ戻りたいという想いやご事情をお伺いし、すぐにどこの企業に応募をするか相談をさせていただきました。正直、条件に合った企業は県内に2社しかなかった為、どうしたら内定への確率を高められるかがポイントでした。そうした際、通常の履歴書・職務経歴書だけではなく、藤野さんのどのようなスキルが、富士電機様にどのように貢献できるのか…をかなり具体的に書いた資料を別途作っていただきました。これを作るにあたって、藤野さんにも富士電機様の論文を読んでいただいたり、相当研究をしていただいたと思います。これを、面接でもプレゼンしていただいたところ、企業様からも非常に高い評価で内定をいただくことが出来ました。まさに藤野さんの努力が今回の転職の成功に繋がったのだと思います。