転職成功者インタビュー | リージョナルHERO
服の型紙を設計する「パタンナー」としてキャリアを積んできた北山宏子さん(仮名)が、次の活躍の場に選んだのは、日本を代表するスポーツアパレルメーカー。もともとは地元・静岡へのUターンを目指して転職活動を始めたが、富山に拠点を持つこの会社に興味を持ち、職場を見学すると「自分も挑戦してみたい!」という思いが湧いてきたという。「自分でも驚いています。生活のために始めた転職だったのに、41歳という年齢でこんな出会いがあるなんて。今はとにかく、自分がやりたい!と思うことをストレートにやれている喜びがあります」と話す北山さんの表情は、初めてのまちで暮らす不安も吹き飛ばすほど、充実感にあふれていた。
- プロフィール株式会社ゴールドウインテクニカルセンター 北山宏子さん(仮名) 41歳/専門学校卒
- 転職活動【転職回数】6回【転職期間】エントリーから内定まで35日間
職業 | パタンナー | 職業 | パタンナー |
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業界 | アパレル商社 | 業界 | 繊維メーカー |
仕事内容 | 紳士服・婦人服テーラードジャケット・スーツのパターン作成、グレーディング・マーキング | 仕事内容 | スポーツウェアのパターン作成 |
スポーツアパレルメーカーで、パタンナーをしています。Tシャツから高機能の防水ジャケットまで、様々なスポーツウェアの型紙を作る仕事です。具体的には、デザイナーが描いてきたデザイン画をもとに、実際に縫製して製品が作れるよう、CADを使って型紙(パターン)を設計していきます。2枚の型紙でできるシンプルな製品もありますが、複雑なものになると100枚を超える型紙が必要。当社では、ラグビー、水泳、スキーなど様々なスポーツブランドを展開しており、私は山登りやランニング用で人気のアウトドアブランドを担当しています。
出身は静岡で、高校卒業後は東京のファッション専門学校で、パターンの基礎を勉強しました。最初はデザイナーになりたかったんですが、勉強をしてみるとデザイン画から型紙を設計していくプロセスがとてもおもしろくて、パタンナーのほうが自分にむいていると思ったんです。卒業後は、いろいろな職場を経験しました。母校の専門学校の教員、インナーウェアメーカーのパタンナー、アパレル生産会社のグレーダー(サンプルから様々なサイズの製品を作る仕事)、デニムメーカーのパタンナー。今の会社にくる直前は、愛知県のアパレル商社でテーラードスーツの型紙を作っていました。
静岡の実家で暮らしていた祖父の他界がきっかけでした。母が1人暮らしになるので、Uターンを考えるようになったんです。また、キャリアアップして、経済的にもっと母を支えたいという思いもありました。でも以前の会社は、女性がどんどんキャリアアップして活躍していく、という社風ではなかったんです。
仕事をしながらの活動だったので、まず大手転職サイトに登録しました。長い目で考えていて、「1年くらいかけていい転職先が見つかればいいな」と考えていたんです。希望職種はパタンナーでしたが、メールで紹介された仕事は本当にいろいろでした。伝統工芸の機織り、住宅会社、ドライバー、コンビニ…。機織りにはちょっとひかれましたが、場所が鹿児島県の離島だったので、さすがに遠すぎると思ってお断りました(笑)。そうこうしているうちに、エンリージョンさんからメールが届き、今の会社を紹介していただいたんです。
できれば静岡で転職したいという希望は持っていましたが、アパレル産業が根付いている地域にも興味がありました。その点、今の会社がある富山県は、伝統のあるニットの産地で、ゴールドウインの前身もメリヤス製造所なんです。実は、学生時代にスポーツアパレルを専攻していて、体の動きに特化した機能的な服作りに昔から興味を持っていたんです。富山は静岡から遠いですが、静岡以外で考えるなら、この会社もいいかもしれないと思い、面接を受けてみることにしました。会社も、富山も、「とにかく行ってみないとわからない」、そんな気持ちでした。
せっかく富山まで面接に行くので、「ぜひ職場も見せてほしい」と私からお願いしたんです。見学して驚きました。非常に先進的な取り組みを、世界レベルでやっていて驚かされました。例えば防水技術にしても、縫い目から雨水などがしみこまないように設計段階から工夫がされていたり、今まで見たこともない技術が数多く用いられていました。正直なところすぐに活躍できる自信はなかったのですが、それでも、「その技術を習得できるのなら、飛び込んでみたい!」と思ったんです。
もちろん最初はありました。行きは愛知から高速バスで向かったんですが、3時間40分かかりました。いつ着くのかな?と不安になるほど(笑)、遠く感じましたね。でも面接の後、駅のホームで新幹線を待っていたら、雨がざっと降って、その後にきれいな虹が出たんです。それまでは迷いもあったんですが、その虹を見た瞬間に、富山に来ることを決めました。
2ヶ月ほど研修を受けた後に現場へ配属され、現在は7件の案件を任されています。それぞれ締め切りがあるので、忙しい毎日を送っています。予想していた通り、はじめは何をやっても壁にぶつかることの連続でした。ただ、自分の人生の歩みを振り返ったときに、やりたいことにこんなにストレートに挑戦できていることは少ないんですね。今まではどちらかというと行き当たりばったりで、自分から強く希望して入った会社はここが初めてなんです。「せっかく自分の希望が通ったんだから、どこまでやれるか、やってみよう!」というのが今のモチベーションです。同僚もみんな親切で、風通しがいい会社で本当に助かっています。ですから恥ずかしさは忘れて、わからないことはどんどん聞いています。ブランドの品質を守る責任がありますから、周囲も積極的にサポートしてくれます。
今は会社から車で10分のところにアパートを借りて暮らしています。南砺市を選んだんですが、砺波市内より家賃が安いうえ、移住者には市から毎月1万円の補助が出るので助かっています。帰宅時間は以前よりかなり早くなり、何もなければ17時半くらいには帰ることができています。アパレル業界では珍しいと思いますね。今までは21時、22時まで仕事をするのが当たり前でしたから。早く帰宅できるので、食事も自分で作るようになりました。仕事にもっと慣れてきたら、スポーツを始めたいと思っています。スポーツアパレルの会社なので、周りもスポーツを楽しんでいる人が多いんですよ。
まず驚いたのは雪の多さです。雪が降った翌朝は早めに起きて車の雪下ろしをしないと出発できないんですよ。雪下ろしの要領もわからなかったので、最初は非常に苦労しました。雪道を運転するのも怖かったですが、車以外に移動手段がないので、慣れるしかありませんね。あとは、静岡への帰省を考えると、ちょっと遠いことでしょうか。
知り合いもいないし、言葉もわからないし、戸惑う面はありますよね。でも富山の皆さんはやさしいですよ。こちらがきょとんとしていると、わかりやすく話してくれます。それに、「どこに行っても日本のまちは豊かだ」というのが実感です。たいていの店や施設は揃っていますから、生活面ではほとんど不自由さは感じません。もともと知らないまちに行くのは嫌いじゃないし、このまちが「自分のまち」になったらいいなと思っています。
新しいことにチャレンジできていることです。仕事への取り組み方も変わりました。以前は仕事に追われて目の前のことをこなすのに精いっぱいでしたが、今はいいものを作るためにとことんやれています。だからとても充実していますね。正直、この年齢でこんなにいい出会いがあるなんて思ってもいませんでした。もともとは生活のための転職だったのに、学生時代から興味があった本当にやりたいことをやれているのですから。そこは本当に驚いていますし、感謝しています。
私がやりがいをもって働いているのを理解してくれているようで、「よかったね」といってくれています。今回の転職のことを相談した時、「挑戦してみて、だめだったら戻ってきたらいい」ともいってくれました。戻れる場所があるから安心して挑戦できる、という部分はあると思いますし、母の応援はすごく支えになっています。
私も、「だめでもともと」という気持ちで転職に挑戦しました。だから自分1人で悩むより、一歩踏み出して面接を受けてみて、会社に判断してもらうのも1つの方法だと思います。そこで採用・不採用の答えが出ると、悩みも消えるわけですから。私のように、期待以上の出会いがあることもありますし、挑戦してみる価値は十分にあると思います。