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薬を通して誰かの役に立つ喜びを原動力に、医療の未来を見据えて歩み続ける。

日医工株式会社
コーポレートマネジメント本部 執行役員 本部長 北尾 太一

富山 更新日:2025年11月26日

京都府生まれ。
1996年 日本医薬品工業株式会社(現:日医工株式会社)入社。
2015年 社長室IR担当 部長 就任。
2023年 人事総務本部 人事総務部 部長 就任。
2025年 執行役員 コーポレートマネジメント本部長 就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

入社後に部署が解体。未経験分野に配属される波乱のスタート。

京都府出身の私は富山大学工学部から大学院へ進んだのち、就職氷河期の真っただ中で研究職を志望していました。私も含めて多くの学生が就職に苦労していた中、日医工と出会って創薬に携わる研究職としての入社を希望しました。

しかし、ちょうどその頃日医工は新薬開発をストップしており、希望していた研究職ではなく臨床開発(新薬を世に出す際に医療施設で行う臨床試験)を担当する部署に配属されました。

ところが、臨床試験を始める直前に薬事法が改正されて担当製品の臨床試験が不要となり、セクション自体の解体が決定。入社間もなく部署がなくなるという珍しい体験をし、マーケティング部への異動決定とともに富山へ移住しました。

マーケティングはまったく知識のない分野で、当初は右も左もわからない状態でしたが、幸運にも外部から招かれた大手製薬会社出身の上司と一緒に仕事をすることができました。

その上司は厳しくも非常に熱心で、若手社員に向けた勉強会を開いて「マーケティングとは何か」の講義をしてくれました。その勉強会は今でも強く印象に残っており、マーケティング部での経験から私の社会人としての歩みが本格的に始まったと感じています。

会社の成長とともに視野を広げ、仕事の面白さを知った若手時代。

当時、日医工のジェネリック医薬品の流通体制は非常に脆弱でした。新薬メーカー系列の卸が医薬品流通の主流ルートで、当社のジェネリック医薬品が取り扱われる余地は限られていたからです。

そんな中、外部の製薬会社から来た上司は「既存のやり方に頼っているとジェネリック医薬品はいつまでも流通せず、業界も変わらない」と、医薬品卸との新しい取引ルートを開拓したのです。

実際、そのとき構築した仕組みが現在は広く普及し、医薬品業界の流通のあり方を変えるきっかけとなりました。

そんな既成概念を打ち破るチャレンジを間近で見られ、ゼロからイチを生み出す仕事の醍醐味を知る貴重な経験となりました。

マーケティング部の後は業務部に異動し、医薬品卸からの受発注を扱う物流の現場に携わりました。業務内容自体は地味に見えても、会社の根幹を支える重要な仕事です。

当時は会社の売上が急速に伸びて出荷が追いつかなくなっていたため、物流センターを新設するプロジェクトにも参画しました。

使っていない自社工場を改装して物流センターを立ち上げることとなり、現場スタッフと何度も話し合いを重ねて一から物流センターを作り上げました。

最新の自動倉庫設備を導入した当時のセンターは、1年足らずで保管スペースがいっぱいになるほど出荷量が増え、会社の成長を肌で感じられました。

前例のない挑戦と地道な現場業務、どちらも大切なキャリアの礎。

マーケティング部での「ゼロからイチ」のチャレンジが多い仕事と、業務部での地道な仕事の両方を経験できたことは、私のキャリアにとって大きな糧になりました。

20代後半の若い時期に、そんな巡り合わせに恵まれたことを非常にありがたいと思うと同時に、「どんな仕事にも意味があり、のちに必ず自分のためになる」と実感させてくれた経験です。

その後は社長室に異動してIR業務や事業開発を担当したり、営業本部で新薬メーカーから長期収載品(特許が満了して同じ効能・効果を持つジェネリックへの切り替えが進んだ医薬品)を譲り受けて販売する取り組みを行いました。

医療機関や薬局、医薬品卸との関係強化などにかかわる戦略に携わる中で、入社から30年にわたりジェネリック医薬品が日本で普及する様子を間近で見ながら仕事をしてきたといえます。

会社が成長する中で、日医工は数々のM&Aを行った歴史もあります。現在は富山を拠点に静岡・愛知・埼玉・山形・岐阜の各地に工場を構え、全国6工場の体制で事業を展開しています。

多様な工場がグループに加わる中で、さまざまな企業文化を融合してきました。多様な経歴を持つ社員が集まり、対等な仲間として一緒に事業を進めてきた一体感が日医工の大きな特長といえます。

「誰かのために働く」志を同じくする人材とともに築く未来。

医薬品を扱う企業として、私たちは医薬品を通じて人の役に立つことに喜びを感じられる方や、誰かのために働く志を共有できる方と一緒に仕事をしたいと思っています。

医薬品に求められる社会的使命を理解し、自らの仕事が誰かの暮らしを支えていることに誇りを持てる人が理想です。

当社は中途採用を含め外部から入社した人材も多く、互いに良い刺激を与え合いながら働ける環境があります。

自分の知らない仕事の進め方や価値観に触れることは、人と組織を成長に導くために必要なものです。

変化の多い製薬業界の中で、新しいことを楽しめる方、前例にとらわれず挑戦を重ねたい方には、きっと面白い環境です。

また、富山という土地で働くことにも大きな価値があります。私は京都出身ですが、富山での暮らしや子育てを通じて「この土地ほど住みやすい場所はない」と実感しています。

自然が豊かで、医薬品をはじめとする多様な産業が発展しており、やりがいのある仕事をしながら生活を営める場所です。

富山出身で進学や就職で県外へ出た方はもちろん、県外出身の方にこそ富山の良さを知ってもらい、暮らしと仕事の両面で充実した時間を過ごしてほしいですね。

20代のうちは都会で経験を積むのもいいでしょう。しかし、30~40代で人生の変化が訪れたとき、どんな道を選ぶかが重要です。その選択肢の中に富山があり、当社があれば幸いです。

新体制発足によって、社内には前向きな変化が訪れている。

当社は2023年3月に新経営体制となり、「SUPPORTING YOUR LIFE」というミッションを掲げました。これは医薬品を使う患者さまだけでなく、働く社員一人ひとりの人生を支えるという意味も込められています。

社員の心が豊かでなければ、他者を支えることはできないとの考えのもと、社員向けのタウンホールミーティングを直近2年間で96回開催し、現場の声を吸い上げつつ風通しの良い企業風土づくりを進めています。

こうした取り組みが現場における意見の言いやすさや社員の関係性向上につながっており、社内の雰囲気は今まで以上に良くなりました。

社員の多くがコミュニケーションの取りやすさを実感し、インターンシップの学生など社外の方からも「良い雰囲気ですね」と言っていただけることが増えました。

人事の仕事に携わるようになってから、働く人の表情や変化を間近で感じられることは私の大きな喜びです。社員の成長を目にするたびに胸が熱くなり、「この会社を選んでくれてありがとう」という気持ちでいっぱいになります。

社員の声に耳を傾けながら、今後も働きやすさと働きがいの両立した環境づくりに努めます。

社会的使命を胸に、新たな歩みを始めた日医工のこれから。

近年、持続可能な医薬品の安定供給体制の構築が社会的課題となっています。

一部では長期間にわたって患者さまの手元に届かない医薬品もある中で、業界全体が連携して責任ある体制を再構築していくことが求められています。

当社は2022年末に成立した事業再生ADRを経て、2025年にアンドファーマグループの一員として新たな歩みをスタートしました。

「SUPPORTING YOUR LIFE」のミッションのもと、患者さま・取引先・社員を含むすべての人々に対し価値を提供する状態を目指すとともに、今後はグループ内外の企業とも志を共有し、より強い連携で社会的使命を果たしていきたいと考えています。

ジェネリック医薬品が広まり、多くの人の生活を支えるようになった今、私たちはこれまで以上に医薬品製造業としての使命を果たす必要があります。

「誰かの健康や人生を支える仕事をしたい」という志を持つ方と一緒に、これからも会社およびグループの成長に向けて、地域とともに前進していきます。

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