創業者のDNAを受け継ぐ、研究開発チャレンジ型企業
明治時代、イギリスから輸入していた塩基性炭酸マグネシウムの国産化を日本で初めて実現したのが創業者の富田久三郎です。オランダの生物学や分析学を独学で学び、1877年(明治10年)に自ら製法を生み出しました。彼のモノづくりに対するこだわりはとどまることを知らず、原料である良質な苦汁(海水成分)を十分に確保できる環境を求め、12年もの歳月をかけて日本中の塩田を調査し続けたのです。そうして1893年(明治26年)、富田家ゆかりの地である静岡県から、良質な苦汁を求めて徳島県鳴門市へ家族4人で移住し、「富田海産塩類製造所」として創業しました。今日の鳴門市が製薬・製塩の街として発展してきたのは、当社の影響力が少なからずあったはずと考えています。「まだ世の中にないものを生み出すこと」「品質への徹底的なこだわり」という当社が掲げる研究開発型チャレンジ企業の原点は、創業者である富田久三郎のDNAであり、今もしっかりと受け継がれています。
研究開発と海外進出で未来の医療を支える
医療の世界は日々変化を続けています。透析人口自体の減少に加え、医療保険制度への負担や薬価抑制の流れ、再生医療の研究が凄まじいスピードで進んでおり、日本の透析市場はだんだん縮小していくものと考えられます。そこで、粉末透析剤に変わる第二の柱を構築するために、新薬素材の研究開発とグローバル展開に注力しています。世界の新薬の研究開発は主に先進7カ国で行われているため、アメリカのニュージャージー州に拠点を開設するなど海外市場開拓を進めています。世界の製薬会社と新薬研究において、開発フェーズから関わり、当社独自の粉体製造技術を新薬や製剤の開発に活かして頂くことを目指しています。新薬により、今まで治療困難とされてきた病気が治療可能となり、そしてより多くの患者様が救われるようになれば、世界の人々の健康への貢献に繋がります。「富田製薬ならではの製品を生み出すこと」つまり、他社には真似できない、オンリーワンの製品を創出していくことが当社の存在価値であり、当社の目指すスペシャリティ企業のあり方です。