株式会社コーンズ・エージー
代表取締役社長 南部谷 秀人
北海道
函館生まれ。中学卒業後、商船高専(現・富山高専)の機関学科に入学し、富山で寮生活を送る。1987年、コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド入社。2009年、コーンズ・エージー代表取締役社長に就任。
『地域未来牽引企業』に認定。無限の可能性に挑む酪農専門商社
当社は酪農専門商社として、「高い企業価値の創造」という理念の下、お客様の生産現場がより素晴らしい環境となることを目指しています。創業以来、欧米諸国を中心とする酪農先進国の生産効率を日本で実現できるよう、世界中から革新的な商品を文化とともに届けてきました。「収穫から搾乳まで」の一貫した生産体系の構築と普及、さらに豊かな暮らしに貢献することを目標にしています。2017年12月に経済産業省より『地域未来牽引企業』に認定されました。『地域未来牽引企業』とは、地域経済の担い手候補として地域経済への影響力が大きく、成長が見込まれる企業が選定されるものです。当社の商品を酪農の生産現場に導入することによって規模の拡大と、乳量の安定的な確保に貢献していることが選定理由になったのだろうと思います。
日本においても、酪農を含めた農業の大規模化は間違いなく主流となる傾向です。もっと大胆に言うならば、「農業から工業へ」という移行期でもあると思っています。ですから、会社としての取り組む姿勢もこれまでとは違うものになっていくでしょう。循環型というフェーズから考えるとバイオガスという必然性もあり、社会的に意義があるエネルギー事業として着目しています。話は少しずれてしまいますが、牛はとても凄い生き物です。肉や乳のほかに、糞はエネルギーとして電気になる、生涯を終えても革製品として役立つのですから。バイオガス関連も含め、酪農を取り巻く産業の裾野はとても広く、可能性を秘めています。酪農を基軸に新しい視点でチャレンジし、北海道で存在感のある企業に成長していきたいですね。
イギリス系外資企業に就職。コンピュータ・エンジニアとしてスタート
1987年に入社し、配属先は12~13人規模の札幌支店でした。最初に担当したのは、イギリス製の自動給餌機。学生時代に学んだ自動制御の知識が役立ったものの、当時は最新だったはずのテクノロジーも今では考えられないようなレベル…。そんなコンピュータ環境でエンジニアとしてスタートしました。製品を支える裏方として尽力していましたが、時には上司の運転手役を務めるなど、実は理想としていた社会人像ではなく、いつ辞めようかと思っていた毎日でした。
そもそも私の性格は、トッププレーヤーでいたいタイプ。部活でレギュラーになれなければ、レギュラーになれる違う部活に躊躇なく移籍してしまうのです。2軍で玉拾いなんてできないタイプ。その頃どういう訳か「石の上にも3年」という言葉が浮かび、続けてみて、3年後もこのままだったら辞めようと思っていました。そんな時期に会社では大規模な組織改革があり、私は営業部門へ配属となり、まさに辞め時だと思いました。「営業なんて大嫌い!」(笑)。エンジニア志望でしたので…。しかし、たくさんの人に会って色々な考え方に触れられることがとても面白いと感じました。事実、この時期に私の職業人生に深く影響する方たちに出会うことができたのです。
「企業は人。」"南部谷学校"で教育合宿を実施
社長という立場になって「企業は人」であり、その延長線上に「信頼」があることに気づきます。机上で「戦略」を練るよりも、ビジネスパートナーとしての「信頼」を得ることが大切だと思うのです。そのためにも、自分のことよりお客様を優先できる「仕事が好き。」という人材を求め、採用の段階から見極めるようにしています。
入社後のフォローアップ教育として、「南部谷学校」と称する実践型の教育合宿を自ら率先して実施しています。一言でいうなら、「寺小屋」のようなもので、輪読して物事の理解力を深めたり、登山やBBQをしたりという文武両道型プログラムです。仕事現場で知識と経験を融合させるためのメソッドのようなもので、経験だけではなく、本を読んで幅広い知識を得るという習慣の大切さを知ってもらいたいと思っています。この「南部谷学校」は好評で、グループ会社からマネジメント層、準マネジメント層の参加希望者もいるほどです。何気ない行動パターンから、人の本質のようなものが見えてくる一面もあるので、経営者としてのライフワークにもなっています。
会社の方向性については、「ポジショニング」を重要視します。たとえば競争戦略になった場合、価格などのマッチプレーに走ってはいけない。「ポジショニング」の違いが重要で、それが強みになります。一つの切り口だけではなく、千手観音のように複数の切り口を持って、多様に対応していける会社にしていきたいと思っています。