採用が経営を変えた瞬間 代表取締役 青木聡志氏

社員が常に成長できる場であるため
魅力的な会社であり続ける。

株式会社ハミングバード・インターナショナル / 代表取締役 青木聡志

Vol.57

株式会社ハミングバード・インターナショナル
代表取締役 青木聡志

宮城

1975年宮城県仙台市生まれ。アメリカ留学を経て、1998年に帰国し入社。当時代表取締役だった父と二人三脚で事業を拡大。2015年に現職。「ハミングバード」のほか「炙屋十兵衛」など新業態の店舗も積極的に立ち上げ、現在6業態 10ブランド 16店舗を展開。

留学先のアメリカで、父親からの「帰国要請」

弊社の創業は1958年です。祖父と祖母が始めた「キッチンエリーゼ」という小さな洋食店からスタートしました。高度成長期は、5000円のステーキが飛ぶように売れていたそうです。父が経営を引き継ぎ、1980年に仙台で初めてのパスタ専門店として「ハミングバード」をオープン。スパゲッティといえばナポリタンだった時代にさまざまな種類のゆでたてパスタを出すと評判になり、マスコミにも取り上げられて大変な賑わいだったようです。

私が入社したのは1998年。正直、当時は事業が非常に苦しい状態でアメリカ留学中に呼び戻されました。アメリカへは単純な憧れから留学しました。日本の大学生活に空虚感があったというのもあります。なんの身寄りもないところに身を置いて、自分は何者なのか試してみたいと考え、留学先も日本人が少ない場所を選んで語学学校から始めました。長男だったので、いつかは事業を継ぐだろうとは思ってはいましたが、まずはアメリカで自分の店を持ってみたいと思っていたところで、父から「店が忙しくなったから手伝え」と呼び戻されたのです。やむなく大学を中退して仙台に戻り、店を手伝うようになりました。その時は「自分がなんとかしてやる」という強気な気持ちでの帰国でした。

壮絶だった既存店舗の建て直し

当時、展開していた店舗は3店舗で、ハミングバードのほか、和食の店も経営していました。私が任されたのは、一番新しい店舗で、開店して4か月ほどたっていたのですが、フタを開けてみるとメチャクチャでした。くたびれた店長、レシピを守らずやりたい放題の調理長、月間200万の赤字。チラシをまけばお客さんに「ああ、あの不味い店ね」と言われる始末。改善提案をすれば社長のボンボン扱い。料理長との折り合いは悪く、とうとう店の調理人を連れて出て行ってしまいました。残ったのは、私とアルバイト2人。3人全員がほぼ素人ですから、きつかったですね。朝から晩まで働き詰め、でも給料もとれない。3ヶ月で20Kg体重が減りました。まずは、マイナスをゼロにもどそうと、とにかく本店と同じ味を出せるよう、勉強しました。飲食店のノウハウ本や雑誌を読み漁ったり、経営がしっかりしているチェーン店に行って、メニュー構成を研究したりもしました。この居酒屋のカテゴライズをイタリアンに当てはめたら何になるだろう、これは鶏肉を何%、豚肉を何%使っているな、炒め物は全体の何%あるな、夜の売り上げを伸ばすにはお酒をオーダーいただかないといけないから、そのためにどんなメニューを提供すればいいだろう、と。お店の宣伝のために、立て看板を持って繁華街で大声を出して歩いたりもしました。全員で努力し、半年でどうにか軌道に乗せることができました。「なんでこんな思いをしなければ」という思いもありました。でも環境のせいにしたくなかった。留学時のアメリカやメキシコで見た貧しい人たちからしたら自分は恵まれていると思った。きつかったですけど「ポストが赤いのも自分のせい」と思って頑張り続けました。結果的に入社前の3倍、ランチだけならさらに売上げを伸ばすまでに至りました。

さまざまな業態に挑戦し、経営を安定化。

そうこうしている内に店が安定。今度は経営が大変だった和食の店舗を整理し、他業種展開に取り組み始めました。チャレンジしたのは焼き鳥の店です。当時、焼き鳥店と言えば、狭くて煙たくて、安い酒を飲みたくて行くところでした。ならば、大人がいける焼き鳥店をつくろうと。内装のデザインから料理構成、ネーミング、店舗イメージまで全部プロデュースしました。するとそれが大当たり。当時、仙台ではセンセーショナルな店だったんだと思います。イタリアンだけでなく、和食の店もやっていたからこそ、焼き鳥の店もうまくやれたのでしょう。

飲食店の売り上げは、時代によってどうしても波があります。多業種展開することで、波を均一化し、事業を安定させられると思っています。仙台の市場をいかにドミナントするかという点でも、さまざまな業態を持っているとメリットがあります。それぞれの業態の魅力を磨きながら、仙台のマーケットに入り込んでいく。今は地元を中心に展開するつもりですが、海外に出て行った時も、この手法は役に立つと思っています。結果的に、このお店のヒットがショッピングセンターのデベロッパーの方々などの注目を集めることになり、ショッピングセンターを中心とした商業施設への出店を加速させるきっかけになりました。

飲食業がさげすまれるのは、我慢がならない。

人材育成には力を入れています。社員一人ひとりが、自分で未来を切り拓ける体制を作り、店舗も、のれん分けや社内フランチャイズで増やしていきたい。そう考えたきっかけは、先に言ったような辛い時代に残ってくれたスタッフへの感謝があります。店舗で働くスタッフを見て、もっと視野を広げてあげたいと思ったことでした。飲食業界に入ってくる人たちは、学歴社会の中で負け組みたいな思いを持っていて、自分の可能性に蓋をしている人がすごく多いんです。でも、それが人として劣っているわけではない。たまたま勉強ができなかっただけで、人として人を思いやることのほうがよっぽど大切だし、それぞれに得意なこともたくさんある。広い世界を見れば、誇りを持てるんじゃないか、井の中の蛙を井戸から出してあげたい、と思ったんです。

飲食業=教育産業。

既存店のテコ入れをしていた頃「なぜ自分がこんな思いを…」と考えていた時に、自分が生まれるのにどれだけの祖先が必要か電卓を叩いてみたことがあります。そうすると自分の命がどれ程尊いかが腹落ち出来たんです。それはスタッフも一緒で、そう考えたときにスタッフの人生を輝かせたいと思いました。

ところで、飲食業のスタッフの仕事は何かと言うと「周りの人が何をしてほしいか考え、それをする」事なんです。これって人が人間として大人になるための経験が出来る「場」なんですよね。飲食業の現場というのはそういう場なんです。そう思えた時に自分のスイッチが完全に切り替わり、自分は従業員のみんなを輝かす場を提供しているんだ、と自分の事業を捉えることができました。飲食業は教育産業なんです。だからこそ現場以外の学びの機会も多く用意しています。新入社員には「翔志塾」という取り組みを行っています。経営や経理、経営理念などを勉強してもらい、1年の総まとめを私に発表してもらうんです。先日も、若い人たちがとてもいい発表をしてくれました。飲食店の基本である「感謝」を学んでもらうために、「ありがとうカード」という、書いて感謝を伝える取り組みも行っています。社員の話もよく聞き、チャレンジできるような環境をつくってあげられるようにしています。先日は、カフェをやりたいというスタッフと一緒に、新業態のカフェもオープンさせました。

東日本大震災を経験して、飲食は人々に必要とされる事業だとあらためて感じました。そういう感謝の思いの表現として、繁華街を出店により再開発するような取り組みもしています。食のコングロマリット化の構想もありますし、グローバル展開も始まりつつあります。常に、現状に満足することなく、進歩を続けていく企業でありたいと思っています。

編集後記

常日頃感じている事ですが、青木社長の戦略や行動にはいつも「言葉」があります。今回も、血の滲むような過去の経験を経て血肉化してきた言葉を沢山お聞きしました。言葉が体と経験から発せられるので、薄っぺらさが無く、体に響くような感じです。特に「従業員は宝だ」と語る際の青木社長には迫力があります。また「食のコングロマリット」を標榜するそのビジョンには、常々ワクワクさせられています。社名にもある通り、インターナショナルに仙台から地理的制約を越境し、世界に羽ばたく企業になっていくであろう同社への期待が膨らむような機会になりました!

文:リージョナルスタイル認定チーフコンサルタント 大石 豊

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