採用が経営を変えた瞬間 代表取締役 菊地 肇氏

どんな世界になっても、永続的に
地域に「ぬくもり」を届け続ける

株式会社パンセ / 代表取締役 菊地 肇

Vol.49

株式会社パンセ
代表取締役 菊地 肇

宮城

1948年宮城県生まれ。40歳で地場の流通小売業を脱サラし、パンの宅配業、スーパー内のインストアベーカリーを営む「グルメライフ販売株式会社」を設立。2004年に業態転換し、郊外型路面店タイプのベーカリーショップ「パンセ」の展開を開始。その後、社名も「株式会社パンセ」に名称変更。宮城県内に11店舗を展開。

創業

最近は折に触れて起業のいきさつを聞かれる機会が増えました。創業以来の黒字経営などのせいか、私を慎重派・堅実派と思われる事も多いのですが、実は成り行きで(笑)起業しました。私は、1970年に地元の流通業の企業に入社しています。会社員として働き詰めの18年間を過ごし、この時代に鍛えられた事が今を支える基盤になりました。一方で、40歳の誕生日を迎える頃、自分が今の仕事以外に何も知らない事に気付いて、転職先やその後の事を考える事もなく辞表を出したんです。そしたら、すぐに、退社したことを聞きつけた大学時代の先輩から、「パンの宅配事業」をやらないか、とお声がけを頂いたのです。自費の出資を含んだ起業の話でした。パンの事も知らない、ましてや会社経営の事なんて何も知らない、という状態でしたが「まあ、なんとかなるか」と、生来の楽観性から事業を始める事にしました。平成元年の事です。パンの宅配のための車2台、事務1名ともう1人大学の後輩、という3人での徒手空拳のスタートでした。

事業の成長と裏腹の危機感。

パンの宅配から事業を始めましたが、その後、大手流通業のスーパー内のインストアベーカリーのお話を頂くようになり、宮城県外も含めて、最大18店舗にまで拡大する事になります。それは一見順調に見える成長でした。が、私には、目先の好調とは裏腹に危機感が芽生え始めていました。商売は順調ですが、店舗を構えるスーパーの出店が激化。ほんの僅かだけれども商売が下降する兆候を感じていた。自社の将来について必死に考えていた時、関東の郊外型路面店の情報を知るんです。「これは仙台でも出来るのではないか」と考えてすぐに関東に飛びました。

創業16年後の、本当の創業。「パンセ」誕生。

視察後、すぐに幹部を招集し「わが社はインストアベーカリーの会社から郊外型路面店を経営する会社に業態転換する」と宣言。社員は半信半疑だったと思います。ですが私は本気でした。事実、用地が決まる前に、既存店の内8店舗の撤退を決定してしまいました。創業から16年。私は57歳。「パンが焼けない経営者」が経営するパン屋の始まりです。周囲からは「正気の沙汰じゃない」「そんなの無理だ」「なぜその年齢で」と散々言われました。

 

実際、大きなチャレンジです。1店舗作るのに1億円以上かかります。何より、インストアベーカリーから郊外型路面店への業態転換は「ついで買い」から「目的買い」への転換で、自分にとっては異業種を始める位の感覚でした。でもやはり周囲がなんと言おうと、避けられないチャレンジだったんです。スーパー業界の状況に対する危機感はありました。ですが、何よりも自分自身、今のままでは「自分の商売ではない」と感じていたんです。インストアは、業績もですが、定休日も、品揃えも、運営方針も、スーパーさんの意向/環境に左右されざるを得ない。お客様のためになる商売を自分の思ったとおりにしていく事が出来ない、と感じていた。経営にダイナミックさを出せないもどかしさがあったんです。何よりこれでは、従業員に対する責任を果たせない、という気持ちがあった。自己紹介しても「あーあのスーパーの中のパン屋さんの・・」という按配で認知もされていない。きちんと利益を出して社員に還元はしていたものの、「これで、社員の誇りは、自信はどこにある?」と、そう考えていました。

 

ですから、平成17年の郊外型路面店出店は、私にとっての創業なんです。実際、経営理念と社員以外すべて変わりました。すべて捨てて別会社にしたんです。そして、ダイレクトにお客さんに喜んでもらえて、社員が誇りに思える会社にしたつもりです。その後、社名も屋号をとって「株式会社パンセ」に変更。現在は、宮城県内に11店舗のベーカリー、2016年には、オリジナルブランドの洋菓子店とカフェも出店するに至りました。平成16年のあの決断がなければ、今、こうして取材を受けることもなかったでしょう(笑)。

社員への思い

会社を始めて3年、4年経過すると、当時はインストアベーカリーの出店も増えて、社員が次第に増えていきました。この頃から「この人達のために経営しなければ」という事を考え始めました。経営者団体に入って勉強を始めたのもこの頃。学んだことは「経営とは社員を幸せにすること」「経営者の経営責任」ということでした。そのためにどうすれば良いのか、その答えが、経営指針を作り、理念を社員に浸透させていくことでした。当時は定着率も悪く「6人入れば5人辞める」という状況。でも、「わが社が何を大事にしているか、それを理解してくれる理解者に残ってほしい」という思いでしたから、理念を説き続けてきました。今も毎年実施している「経営指針発表会」もその取り組みの一つ。従業員全員と、お取引業者様、関係各位を招いて、自社や自分の店舗の経営計画や方針を、オープンにする場なのですが、社員が自社のことを外部に語りかけることによって、社員が自分の仕事に誇りをもてるような場となっていると思っています。実際、外部からのレスポンスを非常に喜んでいる。またその場は、表彰の場にもなっていますから、仕事に関わるよい刺激にもなっている、と考えています。

人間性が出来ていれば、美味しいパンは作れる。

弊社の基本大方針は「時を守り、場を清め、礼を正す」です。この大方針が出来れば、わが社が大事にしている「焼きたて、揚げたて、作りたて」の「3たて」が出来る。つまり、人間性が出来ていれば美味しいパンは作れ、お客さまには喜んで頂けるんですよ。嘘をつかない、怠けない、ごまかさない、そこに尽きます。パンセでは、レジで会計直前であってもパンが焼きあがれば、そのパンをお取替えします。このお取替えをパート社員までもが実践できることを驚かれる方がいらっしゃいますが、何故これが出来るか?それは、喜んでもらったスタッフ自身が嬉しいからですよ。人間として正しいことをしていれば、喜ばれる。喜ばれれば嬉しい。嬉しいことは長く続く。そしてそのスタッフの喜びはお客様に伝播する。これがパンセのサービスです。逆に1人でもブスっとしたスタッフがいればパンセはパンセでなくなる。よく言うのですが「100-1=99ではないよ」と。私たちの店では「100-1=0」なんです。「パンセだったらやって当たり前」という、そういう水準に私たちはいる。伝承していくべきは、この価値に他ならないと思います。

承継し続けるのは「ぬくもり」。

結局、企業は永続こそがすべてだと思っています。「社員の成長・幸せ」「お客様の喜び」「会社の成長・発展」すべてを両立させながら、永続させていくことに尽きる。つまり理念の承継です。それを実現するのは他ならぬ社員です。短期の数値目標や規模の目標などはありますが、最終的にはこれに尽きる。そのために、特に今は、社員の労働環境整備などの内部固めが重要と思っていますね。この後、どんな時代が来ようとも、パンセは、永続的に地域に笑顔を与え続ける会社でなければなりません。だから「その行動はパンセか?」と社員は常に自らに問い直しています。100人いれば100人が温かい。新人が入ってきても、すぐに温かい対応ができる。仕事を「作業」としてではなく関われる。お客様も、従業員も「パンセに関わる人すべて」が温かい気持ちになる。その風土、文化を創っていくのが私の仕事、と思っています。そのために、経営者としては何よりも、社員の幸せを笑顔を重要視したい。それがお客様の笑顔につながる訳ですから。

編集後記

菊地社長は、私の父親と同じ位の年の経営者で、実際私自身、経営者の勉強会の場でご指導を頂き薫陶を受けている方です。ユーザーとしても、小学生の子供から「パンセに行こうよ!」と誘われるため(笑)、よく店舗を利用させて頂くのですが、社員さんからパートさんに至るまで、ホスピタリティー溢れる暖かいサービスをして下さり、行く度にその現場力や組織力の高さには驚かされます。年1回の経営発表会にも参加させて頂いていますが、5年勤続、10年勤続の方お一人お一人に、涙をこらえて表彰状を手渡される菊地社長の姿は、まさにインタビュー中にある社員さんへの「ぬくもり」そのものと感じます。ビジネスに関わる者としても、地域に住まう住人としても、菊地社長のような経営者、パンセのような企業がある事に対しありがたく思います。パンセのぬくもりが永続する地域であってほしい、そう感じさせて頂く機会となりました。

文:リージョナルスタイル認定チーフコンサルタント 大石 豊

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